(1)前提
19世紀以降、「社会革命」を目指してたたかってきた人々は、おしなべて何らかの「思想」を掲げてきた。体系化された「思想」は、現状に飽き足らない急進的な改革を望む人々に、壮大な理想を提供した。マルクス=レーニン主義の旗を掲げたロシア革命なんてその典型例だし、戦後労働運動についても同じだっただろう。 しかし、その思想は現代において何をもたらすか。議会に顔を向けてみれば、支持されているのは特定の思想のもとに党を築き上げている共産・社民ではなく、アメーバ的で定義不能な政党である自民・維新・国民だ。議会外についても、左翼セクトは衰退し、もはやもぬけの殻同然の状態である。(直近では、解放派の影響下にあった徳島大の新聞会が廃部となった)
(2)68年と現代の学生運動ーその無意味化
学生運動が衰退し、もはや消滅同然となった現在においても、その復活を肯定する論は存在する。しかし、それは単なる懐古に過ぎないのではないだろうか。 学生運動家は、「世界革命ー日本革命」「武装蜂起」といった指針を持って、学園で闘ってきた。けれども学園闘争の収束以後、大半の学生には、その指針があまりにも浮き世離れして見え、そして学生運動から学生が乖離していった。 おそらく、1968年のような闘争の爆発は、当時の混乱した状況と、自らのアイデンティティの崩壊の2要素がなければ起こり得なかったものと思う。 もちろん、現代の学生が「アイデンティティ」を有しているかといえば、それはまったくの誤りだろう。しかし、そのアイデンティティの欠如は、68年より数倍矮小になった「自分探し」によって満たされ、ひとまずは鎮められている。渋谷や原宿を歩けば、満足した表情の若者がたむろしている。これが現代の学生像だ。 当時の情勢と現在の情勢の相違点は、危機が眼前にそびえ立っているか、というものではないか。68年には、沖縄から北爆のための帝国主義軍隊が「実際に」飛び立ち、ソビエトという赤色帝国主義が「実際に」存在した。政府は明確に反共路線を打ち出し、言論弾圧や不当逮捕も一般的だった。あるいは、日本大学の闘争では、政界と癒着した大学当局に反対する学生が自主的に決起し、それに対する機動隊の暴力を目にした一般学生もが同調し、全学を巻き込んだうねりとなった。現代ではどうだろうか。例えば68年の首魁だった中核派は、ウクライナ戦争・あるいは「中国侵略戦争」を帝国主義戦争として定義し、「帝国主義戦争を内乱へ」という一世紀前のスローガンを掲げている。しかし、ウクライナ戦争は日本から隔絶された欧州の話題である上、日本の肩入れもそこまで大きなものではなく、日本帝国主義の発動として位置づけるのにはかなり難がある。「中国侵略戦争」に至っては仮想的なものであり、実際に発生してすらいない。現に帝国主義の醜悪が見えている訳でもないのに、掛け声のごとく「日帝打倒」を叫ぶ左翼団体は、学生の目には一種のカルトとしか映らないのだ。そして、そんな異常にも見える団体に入って活動するのは、前述したような「現代の学生像」に溶け込めないパーソナリティーの学生がもっぱらであり、その為もあって団体はさらに閉鎖的、また空想的となる。共産・社民も、もはや化石となった幻想を唱え続け、その結果として過去の遺物と化している。党は傾き続け、今や崩壊の瀬戸際にある。
(3)生き残り方
不協和音の会は、これらの政治運動の失敗を踏まえ、どういった方針によって行動すべきだろうか。そもそも「政治運動」、さらに「思想」とは、あくまで社会運動の一形態、また一要素に過ぎない。セクトや左翼政党は、ある種の革命思想に基づかない社会運動を「日和見」と定義して攻撃を加えた。それによって、運動全体にどこまでの弊害がもたらされたことだろうか。社会運動において、「思想」がもはや無力になっていることを自覚しなければならない。その趨勢を無視し、あくまで特定の概念に固執している集団は、もはや化石・急進主義者であり、市民の場からの乖離は必至である。社会運動を目指している私たちが、「政治運動」を社会運動における価値軸において絶対化する必要は毛頭ない。それ以上に、人々から支持を獲得することが喫緊の課題だ。その連帯の模索について、指針となる例はサパティスタ運動、あるいはシェアハウス、あるいは「新しき村」など、世界あまたに存在するだろう。それらの例を日本社会に適合した形へと変形し、生活上の不満をアップデートしよう。
(山下晴)