襤褸の旗 三里塚闘争と資本による搾取

  三里塚闘争と資本による搾取 三里塚は、日本で最も国家暴力の先鋭化した戦地の一つである。かつて、そこには数多くの農家の命と暮らしがあった。今回、強制代執行に遭った市東さんの農地は3代100年に渡って耕作した土地であるが、戦後に復員兵の方が新たに開拓して住み着いていたという事例も少なくなかったという。たとえば木の根部落、という部落があるが、一帯に木の根が張っており開拓の困難があったことが名前の由来と教えてもらった。侵略戦争の前線から必死の思いで生き残って復員し、新たに土地を耕したのだ。だが、日帝権力の考えることは常軌を逸する。むしろ三里塚の農民らの経済的な弱みに目をつけて、札束で頬を引っ叩いて退去することを求めたのだ。日帝権力は、金さえ渡せば言うことを聞くと思っていたのだろう。なぜなら彼ら自身がそうだからだ。 しかし、三里塚の農民たちの抵抗は日帝権力の想像のはるか上をいった。農民にとって農地は命なのである。生産手段なのである。金なぞ使えば無くなるが、農地は何度使ってもまた新たに野菜が育つのだ。自分で野菜を育てればわかるが、スーパーで買う野菜にはない甘味すら感じられるのである。また、生活の拠点を移すことの重みも、都会の市民とは異なる。側からみればただ土が広がっているだけだが、自分の耕す農地から見える景色や土の香りは、唯一無二のものなのである。屋根も壁もなくても、市民的感覚でいえば自分の部屋のようなものなのである。
(蒼井湊)