昭和の農村の悲惨さ

 もうすぐ2月26日である。私が社会主義に運動にふれるきっかけとなった事件があった日である。
 猪俣津南雄氏の著書”踏査報告 窮乏の農村”や渋谷定輔氏の著書”農民哀史から六十年”には1920年代から30年代にかけての悲惨な農村の様子が描かれている。
 第一次世界大戦後の生糸価格の暴落、六割にも及ぶ高額な小作料、機械化による大量の失業者、農村に建設された工場は家計を依存させ賃下げ、不払い、解雇である。それらは欠食児童を呼び、身売りを呼び、間引きを呼んだ。生糸の価格が下がるが養蚕を諦めない。諦めてはいられないのだろう。三陸の漁民は津波の見舞金で生活を繋いでいるために、津波を”海嘯様”と呼んでいる。
”農民哀史から六十年”の耕牛に食べさせるものがなく痩せ細った牛涙ながらにを鞭を打ち働かせる渋谷定輔少年の話では心が痛くなる。
 本書を読んでもらうとわかるが、五・一五事件二・二六事件そして農村青年社のような事件、運動は必然であったのではないかと思える。
 青年将校らが部下から聞く農村の悲惨さは本書以上のものであっただろう。そして、日本の構造がおかしいということにも気付いたはずだ。それで天皇親政の社会主義国家の樹立を目指したのだろう。強力な権力で昭和維新の歌で挙げられたようなこの見せかけの社会(資本主義)を洗い流し、ユートピアを建設するために…

吉野陽向