連載:新自由主義とはなにか(1)

新自由主義と聞いて何を思い浮かべるだろうか。弱者切り捨て、構造改革、民営化…どれもあまりにお粗末である。そこで今回は、新自由主義の実態について詳しく迫る。
そもそもとして、新自由主義と一口に言っても、ニューリベラリズム、ネオリベラリズム、学術的な何かなど、その語の意味は多岐に渡り既に定義は困難だ。だが、おそらくこれを読む者たちは『ネオリベラリズム』を意識しているだろう。当然、本稿においてもその意で解説させて頂く。
まず、所謂新自由主義とは70年代のスタグフレーションを契機に世界各国で使用され始めた用語ではあるが、これは本質をついていない。一部で良く起こっている誤解を正すと、新自由主義経済学などというものは存在しないのだ。だからこそ、所謂新自由主義的なといった表現が使われる訳だが実は根本的に新自由主義を実践出来た国というのは存在しない。無論、改革を約束する新自由主義的な政府が世界中に登場した、だが、政府は状況に応じ常に約束した改革を実行する事はかなわなかった。
新自由主義として代表されるフリードマンらの思想は政府の裁量行政への批判であり、社会福祉の批判などではないというのは新自由主義に知見のある方ならば周知のことであるが、各国の政府は裁量行政削減に失敗し、いたずらにただ社会保障の削減などが起きてしまった事によって元の経済理論まで歪められて解釈された訳だ。勿論、レーガノミクスにサッチャリズムは功績も多い。日本での三公社五現業などは現在の我々に多くの利益をもたらした。だが、厳密には新自由主義をどの国も行えなかったし、最終的には日本では小泉政権や安倍政権が新自由主義等といわれるとんでもない誤解が生まれるに至った。
では、現在における新自由主義批判とは一体何なのか?
簡潔に述べるならば、左派による資本主義叩きに他ならない。1990年前後に社会主義陣営の崩壊があって以来、左派は正面切って社会主義の賛美と資本主義の批判が困難になった。そこで生まれたのが新自由主義批判の体を装った資本主義批判なのである。現代における新自由主義批判で語られている内容と元の新自由主義の思想を見比べれば的外れな批判になっていることは一目瞭然なのだ。それもその筈、新自由主義を彼らが批判してなどいないのだから。
さて、ここまでご覧になってくれた方は新自由主義の印象が少しは変わったのではないだろうか?無論、新自由主義が素晴らしいわけではない。新自由主義は功罪両方の側面があるだろう。だが、少なくともただの蔑称にもなり下がった新自由主義への見解が変わるとありがたい。
(朱月蒼海)